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2007年09月
ヴァイオリンストラディヴァリウスと日本建築
ヴァイオリンストラディヴァリウスと日本建築 ヴァイオリンの名器ストラディバリウスに赤もみが使用されている。東大寺は1300年を超え流麗な姿を保つ、元禄15年(1702年)赤穂浪士討ち入りの年、M.シルブのヴァイオリンはまだ300年、世界の木造建築、木製の名器で日本が勝る。 ヨーロッパからシルクロード、中国を経て輸入された建築文化を礎に日本文化の応用にて建てられた多くの飛鳥、平安、室町、鎌倉時代の東洋・世界に誇る建造物を現代の建築家はもはや超えようもない。 ヴァイオリンも同様、100年先に名器と言えるヴァイオン匠がいるだろうか。語る立場にはないが歴史が証明するであろう。エラールからスタインウェイ、ベーゼンドルファーに発展したピアノ製造ももう限界点に来ている。 Nel 1952, con il bello e semplice nome I MUSICI, dodici promettenti strumentisti romani e di altre città d'Italia, allievi in buona parte dei Corsi di Perfezionamento dell'Accademia di S.Cecilia, si consociarono "inter pares" e diedero vita ad una singolare orchestra da camera composta di sei violini, due viole, due violoncelli, un contrabbasso ed un clavicembalo, con l'intento di ridare linfa vitale al repertorio per archi ed in particolare alla produzione di autori italiani del Settecento.
La scelta di formare un organico senza direttore d' orchestra fu deliberata per stabilire fra i dodici colleghi-amici un rapporto egualitario in grado di portare, sia in fase di concertazione che di esecuzione, a scelte unanimi sui problemi tecnico-interpretativi delle partiture, formula inedita e valida ben al di là delle aspettative: emblematicamente l'elogio di Arturo Toscanini stabilì quasi subito il primo autorevole sigillo. Egli, nell'aprile del 1952, li ascoltò mentre provavano nella sede della Radio Italiana a Roma, poi li abbracciò commosso uno ad uno, rilasciando dichiarazioni entusiastiche ai giornalisti ed alle personalità che lo attorniavano, infine in ricordo di quel felice momento regalò loro un suo ritratto con dedica: "bravi, bravissimi! No, la musica non muore!"
Il debutto in pubblico era già avvenuto, con grande successo, poche settimane prima, il 30 marzo, all' Accademia di S.Cecilia, e fu l'avvio di una stupefacente carriera che in poco tempo li avrebbe annoverati fra i protagonisti del concertismo internazionale. Per un caso insolito I MUSICI si trovarono a dover onorare i loro impegni, in alcuni stati d'Europa, sotto una differente denominazione, ossia I MUSICI DI ROMA. Questa curiosa anomalia fu dovuta all'idea di un impresario di Monaco di Baviera al quale si erano rivolti per essere rappresentati in Germania ed Austria; egli suggerì di aggiungere, esclusivamente per quell'area geografica, al nome I MUSICI l'attributivo DI ROMA, sostenendo che ciò avrebbe fornito al pubblico del centro e nord Europa, da sempre innamorato della classicità mediterranea, una attraente ed immediata connotazione culturale tale da facilitare il lancio pubblicitario della allora sconosciuta orchestra italiana. Dopo un'iniziale perplessità si decise di accettare: il risultato fu così positivo che i neobattezzati MUSICI DI ROMA dovettero adottare in permanenza questo secondo appellativo per la gioia dei colti ed esigenti ascoltatori mitteleuropei. Oggi, qualunque frequentatore internazionale di sale da concerto che ascolti I MUSICI sia al Mozarteum di Buenos Aires o al Palau de la Musica di Barcellona, e sia, successivamente I MUSICI DI ROMA al Musikverein di Vienna, sa bene che si tratta sempre del medesimo celeberrimo Complesso da Camera romano.
L'arte cameristica ed il suono inconfondibile de I MUSICI si sono plasmati durante mezzo secolo di assidua dedizione, nel rispetto dello stile e del gusto di ciascun autore e al tempo stesso con libertà interpretativa aliena da dogmatismi accademici. Con queste duttili qualità I MUSICI svelano e raccontano i sentimenti, gli aneliti e le emozioni di compositori che operarono in un'epoca irta di vincoli e convenzioni, e tuttavia seppero trasmettere, mediante la loro arte sublime, un messaggio universale ed eterno.
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2007年 9月 30日 (日)
グールドの誕生日の前に書いておこう、決して25日を意識してではなく
ホロヴィッツとグールドのピアノ奏法・映像から
ホロヴィッツの弾くラフマニノフピアノ協奏曲第3番ライブ演奏(ズビン・メータ指揮)とグールドのCBC記録映像から二人のピアノ奏法を比較してみる。 グールドは低い椅子にかけ肘から先が上を向くいつものスタイル。ホロヴィッツは姿勢よく上半身は天井に向かって直線を保つ。ピアノ音楽観はさておき共通する奏法がある。 グールドもホロヴィッツも手首は鍵盤より下に位置し、手首から先がピアノ鍵盤をクワエル形が見られる。グールドは肘、肩、上半身が演奏とともに大きく売揺れ動くが一切手首は自由度を失うことはない。 ホロヴィッツも勿論運指上から肘が力を抜くことで指先に神経が集中しピアノが歌う。二人とも打鍵した指は鍵盤に吸い付くごとく一切無駄な距離を置かぬ。 ホロヴィッツは第1関節が上に反るが手首から先は平たく広げたままと見え、グールドはやや手の平から先は丸めるように。両者とも打鍵時距離を取る時は高い位置でハンマーを打ち下ろす如くと見えるが瞬時であり曲想に緊張感。ナノ秒の名人技と言える。 ホロヴィッツとグールドの間には年齢差もあり、グールドがルビンシュタインとの親交があったと聞くが互いにライヴァル視していたとも。惟二人のピアノ奏法は音色感やリズム感を別にして手首の位置、打鍵に一切の無駄のないこと、押さえた指が可能な限り鍵盤上に残されていることに共通点があるようだ。(レガートのための指の置換えは勿論) グールドについて加えるならラヴェルを弾く時とバッハではやや奏法が違う、バッハではゴルドベルク変奏曲に象徴されるようにチェムバロ奏法に近く第2関節から先の動きが目立つ。 それとても瞬時の技でありグールドが幼少時からオルガン、チェムバロを弾き恩師ゲルレーロから習得した上での彼独特の奏法であり形を模倣するも意味はない。 <恩師からお教え頂いたことであるが二人の奏法の原点はフランスバロックのラモーにあると>
グールドと共演した指揮者
グールドの演奏するピアノ協奏曲を指揮した、いやグールド自身が指揮者であったかも知れぬ数々の演奏記録からその指揮者の名を挙げてみる。バッハではV.ゴルシュマン、ベートーヴェンではカラヤン、アンチェル、ストコフスキー、バーンシュタイン、朝比奈隆。ブラームスではエピソードあるバーンシュタイン。ライヴでG.セルの名もある。 モーツァルト ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調K.491はW.ジェスキント。 現代もピアニストから指揮者になったバレンボイム、アシュケナージ、エッシェンバッハら名ピアニストが多い。バーンシュタインのシューマン ピアノ五重奏曲はグールドのジュリアードカルテットとのシューマン ピアノ四重奏曲とも印象深い演奏。G.セルも作品の記憶が定かでないが希代のピアノ名手と感じた。 アンドレ・プレビンはグールドとの共演はないが実に聞かせるピアニストでもある。 グールド自身が指揮しての演奏では、バッハカンタータBWV54がカウンターテナーの異様な声と姿、更にはピアノに細工をしての金属音が度肝を抜く。京都の友人がフェルトに画鋲を打ちチェンバロを模した音響を試みたこともグールドからの発想。バッハ ブランデンブルク協奏曲 第5番ではニューヨーク・フィルのJ.ベーカーとも共演した映像が。いづれもグールドの弾き振り。カラヤンは暗喩としてグールドに指揮者になることを薦めたと聴くが左手の指揮は演奏するオケには難しいことであろうか
La firme Sony Classical sort une version remasterisée et luxueuse du fameux enregistrement de l'oeuvre de Bach, réalisé en 1981. Cette année-là, le disque avait été vendu à 300.000 exemplaires en France... Un chiffre énorme pour un austère musicien classique !
Ce beau petit coffret, riche de trois CD, renferme aussi le tout premier enregistrement de l'oeuvre par Glenn Gould en 1955 et une interview en anglais de 50 minutes, réalisée en août 1982, soit quelques semaines avant sa mort. Le virtuose y explique notamment pourquoi il a réenregistré ces "Variations". La toute première version voyait davantage les "Variations Goldberg" comme des pièces isolées, alors que la deuxième conçoit l'oeuvre comme un grand tout.
D'autres disques sont à nouveau disponibles dans leur jaquette d'origine, tels que les "Suites françaises" de Bach ou encore des "Sonates pour piano" de Mozart. Il en sera prochainement fait une présentation plus détaillée dans la rubrique Musique classique.
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2007年 9月 24日 (月)
グールド・漱石・熊本・行人【譜の連鎖*セクエンツァ】
グールド・漱石・熊本・行人【譜の連鎖*セクエンツァ】
鴎外と並ぶ明治の文豪夏目漱石は英吉利から帰国後旧制第五高等学校の英語教授として熊本に住んだ。 母の実家陣ノ内は内坪井に、坪井川が近く熊本城も目の前。漱石の住居が記念館として保存されており、ほどなく小泉八雲、ラ フカ ディオ・ハーンも住まいした地に地蔵がある。漱石は熊本の南端、島原雲仙普賢岳を見渡す父方の祖先の地三角にも立ち寄る。三角西港には祖先の家屋敷が保存されているが百年も昔のこと、大叔父の話では自家用車があったとも。 もしかしたら漱石が祖先の家近くを散策したかもしれぬ。熊本に居た時期の小説に『草枕』『ニ百十日』。阿蘇にも登り、幼い記憶で耶馬溪の闇も不安であった地を漱石とも共有した昭和28年。青函連絡船洞爺丸遭難のラ (孵化) ディオ がモーツァルト ヴァイオリン ソナタ ハ長調の調性とは裏腹に印象として鮮明。 演奏はシモン・ゴルドベルクのヴァイオリン、ピアノはリリー・クラウスと4歳半年の記憶がある。グールドの愛読書には漱石『草枕』が、死後グールドの床に聖書とともに並んでいたと聞く。英訳は清泉大のアラン・ターニー氏のもの英語の題名は 『The three-cornered World』と、四角い世界から浮遊し三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろうという精神的な意訳からであろう。三角は我が祖先の地、モルダウの如く、漱石も訪れた100年前は熊本の桃源郷としてまさにthree-cornered Worldと言おう。、 グールド ピアノ演奏画像 ラヴェル「ラ・ヴァルス」は浮遊するラ・ヴァルス。漱石は近未来小説として「浮遊する東京」を念頭におき 生きる・死 ととの隣り合わせ、生きる実感、生命の根としての不確実性を書いたと。光を求め直進すればするほど闇に囲まれ一層暗闇に呑まれる不安感、グールドの共感を得た背景があるよふだ。 漱石とも熊本、内坪井、三角で遭遇し、またグールドとは漱石を介して 三角の相関 もあったとすればこれまた歴史の軌跡とも奇跡、妄想の連鎖・セケンツァ。<もし今グールドを知らなければ私の人生はきっと変わっていただろう>・・フランス語文法、条件法過去第2形「条件法過去のかわりに接続法大過去を用いることがある。これを条件法過去第2形という。siにつづく条件節で直接法大過去にかわって用いられることもある。」 (初等フランス語教本 文法篇 研究社・白水社)・を再現部として提示し終曲へ奔ろうふ。 Glenn Herbert Gould(September 25, 1932 – October 4, 1982) was a Canadian pianist, noted especially for his recordings of the music of Johann Sebastian Bach, his remarkable technical proficiency, and his eccentric piano technique and personality. He gave up concert performances in 1964, dedicating himself to the recording studio for the rest of his career, and performances for television and radio, as well as non-musical radio documentaries and other projects.
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2007年 9月 21日 (金)
グールド狂なる奇人が徘徊するこの頃
グールド狂なる奇人が徘徊するこの頃
グールド研究家として高名な宮沢淳一先生のグールド論の間隙をヌッテ細菌、グールド狂なる変人が稚拙な文章、いや文体以前の支離滅裂なテニウヲハと統一感なき句読点を付して日本サイトをこんたみねーしょんに陥れていると知人から聞く。一度どんな輩か会ってみよふ。流布されている味覚認情報(ロイテル伝)に拠れば「ピアノ文化 グールド」「ピアノ 文化 グールド」のいずれかで宮沢淳一先生の上に頭を出しておるよふ。これは未完の検索システムにも問題があろふが意図してそのような蛮行を行っているとしたら 問題であろふ。但し、聴くところでは包含語彙数が2〜3百万語彙ともききその情報操作におそらく日々苦労していることは想像に難くない。 そのやうな時間を無為に浪費するなれば上野の森にて昼寝でもし、覚醒時は東京文化会館か国立西洋美術館、東京国立博物館にて勉学に励むがよい。 京博にも行ってみては。まだある東京藝術大学美術館。世界三大美術館ルーヴル展も来よう、ミロのヴィーナスをミロ。ミロもシャガールもある。ムンクは35年前に見た、京都新聞に若きピアノ奏者がモーツァルト ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 k.466の演奏を控え感想を述べた記事。今なおムンクの”叫び”が聞える如く、加茂川の流れは清流であった。 グールドを知ろうとするならCBC映像にて語るグールドを解読することが必須。唯、グールドは多重人格ゆえ言葉の裏返しのうらうらを読まねば真意を理解できないこともあろふ。 ピアニスト、作曲家、指揮者、文筆家、俳優と夫々の顔を使い分けてのグールド”束の間の幻影”に惑わされぬよう。あーめんの幻影 の 如く。(なにもここでプロコフィエフやConservatoire National Supérieur de Musique et de Danse de Parisメシアンを紹介する気はないが自然と語彙が浮かぶラ・ヴァルスのやう) グールド没後25年、生誕75年の今年、あえてグールドを語るより静かにしていることが奥ゆかしい
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2007年 9月 20日 (木)
ストラディヴァリウス・マリアーナ・シルブ&坪井真理子ヴァイオリン&ピアノ演奏会
熊谷文化創造館の歴史を飾るストラディヴァリウス・マリアーナ・シルブ&坪井真理子ヴァイオリン&ピアノ演奏会。ベートーヴェン春も京都アルティ、熊谷文化創造館で。 http://www.culture-art-music.com/mariko/guide.html 【バッハゆかりのライプチヒ、メンデルスゾーンにより創設されたライプチヒ高等音楽院、メンデルスゾーンは聖トーマス教会でオルガンを弾いた。 彼がバッハを19世紀に広めた功績は大きい。 マタイ受難曲 (Matthäuspassion) BWV244 は1727年にライプツヒにて初演され、後にメンデルスゾーンが取り上げバッハを再認識させた。】 マリアーナ・シルブ女史の生まれ故郷はルーマニア英語で綴るとRomania。日本語表記はどうしてルーマニアとなるか不可四季、イ・ムジチはイタリアローマに誕生、シルブ教授とローマで繋がるご縁。 ヴァイオリン奏者・作曲家・指揮者のG.エネスクの国ルーマニアいやローマニア。ブカレストオペラハウスとエネスクの像が音楽の国ローマニアの象徴。 【マリアーナ・シルブの略歴】 マリアーナ・シルブはルーマニアの音楽一家に生まれ、ブカレスト国立音楽院でステファン・ゲオルギウ氏のもとにヴァイオリンを学び若くして演奏活動を開始、エネスコ、カール・フレッシュ、マリア・カナルス、ヴィットリオ・グイなど、著名な国際コンクールで賞を獲得。ベルリン・フィルハーモニー、アムステルダムーコンセルトヘボウ、カーネギーホール、リンカーン・センター、ミラノ・スカラ、サントリーホールなど世界の主要な演奏会場にてソリストとして演奏。1968年に「アカデミカ・カルテット」を結成し、ミュンヘン、ジュネーブ、リエージュなどの国際コンクールに入賞するほか、数多くのレコード、CDを録音。1985年、ブルーノ・カニーノと共にミラノ・トリオに加わり、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、南米、オーストラリアにて演奏。国際音楽祭に出演するほか、クレモナ国際コンクール、ヴィットリオ・グイ、エネスコ、ロレンツィなど数多いコンクールの審査員を務めている。2002年よりライプチヒ高等音楽院教授。フィリップス、デッカなど数多くのレコード、CDを録音。
M.シルブ&坪井真理子「ストラディヴァリウスの輝き」チケット扱い 10月25日(木)京都アルティ 京都アルティ、ミツマ・ミュージックプロダクツ(075-761-1213) 10月27日(土)熊谷文化創造館 熊谷文化創造館、新星堂深谷店(イトーヨーカドー内)、ピアノスタジオ熊谷(048-532-8983) 京都ミツマ・ミュージックプロダクツ、ピアノスタジオ熊谷はオンライン購入可。 グールドのLDは新星堂吉祥寺にて購入したが絶版。 没後25年の今年多くの音楽評論家、ピアニストらがグールドのピアノ奏法、チェンムバロ奏法を評するであろうがカナダCBCの記録映像からバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ラヴェル、ドビュッシー、プロコフィエフらの演奏を仔細に分析してもそれはそれだけのことグールドは帰らぬ天才。 グールドの誕生日、9月25日=バッハBWV925は 小プレリュード D−dur大学時代現ライプチヒ高等音楽院坪井真理子に教わる。
坪井真理子埼玉新聞にて紹介 「眼科医から音楽の道へ・ドイツ拠点に演奏活動」の見出しで10月27日熊谷文化創造館太陽のホールでのM.シルブとのデュオを開くライプチ高等音楽院教授坪井真理子のピアニストへの軌跡を紹介。 5歳からピアノを始めていたが京大医学部での優秀な成績からドイツへ眼科医として留学、偶然宴席にあったピアノを弾いた場にフランクフルト音楽院教授、フォルクマン氏がいたことからピアノを35歳で勉強し直し、M.シルブと同じくライプチヒ高等音楽院教授となった。M.シルブとは息のあったデュオでベートーヴェンソナタ春ほか演奏する。イ・ムジチ合奏団でのヴィヴァルディ 四季で世界を駆け巡った名ヴァイオリニストと坪井真理子の演奏が期待される熊谷文化創造館太陽のホール。(ストラディヴァリウスの輝き) ライプチヒゆかりの音楽家バッハ、メンデルスゾーン、シューマン、滝廉太郎、斉藤秀雄らもこの演奏を応援してくれよう。
熊谷文化創造館さくらめいとだより 10月27日熊谷文化創造館太陽のホール「ストラディヴァリウスの輝き」案内が掲載されました。 ベートーヴェン ソナタ 春などヴァイオリン&ピアノのデュオをライプチヒ高等音楽院M.シルブ教授のヴァイオリンと8月熊谷文化創造館月のホールにてピアノ演奏会を行った坪井真理子のピアノで
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2007年 9月 19日 (水)
芸術における空間と時間の概念・宇宙からの妄想
GoogleとYahoo検索から宇宙へと発想が飛躍しての記載
GoogleとYahoo検索では結果が異なる、Googleは忠実(なる羊飼いヴィヴァルディ)、Yahooはつぎはぎ検索の体。 アルゴリズム差か検索精度検討要。天気予報は語彙として多いか。朝日新聞・天声人語は入試の筆頭テーマ、朝日をなぜ多用。Google(ピアノ 文化 Google)はGoogleの有無でヒット件数は3桁差、Yahooでは1桁差。フルーツパーラー 新宿高野
「ピアノ Yahoo」検索では・大阪・肥後橋にある伊料理の名店「ピアノ・ピアーノ」が本格的なイタリア菓子・と。 Yahoo検索『Googleで最強の日本語を探す人が現れた。現在の暫定1位は「1年」』と。ミニスーパーコン検索では2億光年とでた。検索のユラギに帰結か。数理統計学と異なる不可思議な検索システム。京都の友人から紹介された稲垣足穂に宇宙・空間に言及した詩があった。 「補追:日本惑星協会サイトから引用・改変 宇宙最大の構造物? 宇宙には、ヴォイドと呼ばれる直径2億光年くらいの巨大な空洞が存在。 ヴォイドの間を隔てるいわば境界壁が、数千個の銀河で構成される局部銀河団が集ってできたグレートウオール(銀河の壁)。 」フルーツパーラー 新宿高野
「culture art music」はGoogle・Yahoo検索で2億光年のかなたを浮遊。高性能電波望遠鏡にてご覧あれ。 ラヴェル作曲・グールド編曲ラ・ヴァルスのピアノ演奏映像、浮遊するラ・ヴァルス(青柳いづみこ先生の模倣ではありません、先生はワルツと表記されております)は決し鍵盤から指が離れない。時折打鍵するも見事な瞬時の軟着陸の精緻なること探査衛星をも凌ぐグールドの精緻な指先に目が眩む。ブラックホールに足を取られぬよう気を付けセーガン、ホーキング博士の宇宙物理論の間隙を超えても。 芸術の根底には時間、空間という概念が眠っている。検索で空間は1億6千万光年、時間・空間では1千5百万光年と桁が下がるミックスしてみると概念が複雑になる結果であろうか。「culture art music」は3種混合ワクチンではあるが芸術を網羅して2億光年。その名を冠して光栄の至り。 (コスモスは阿蘇山麓にて目にとまった偶然)
<埼玉古墳群世界遺産登録へ動く 埼玉県と行田市は埼玉(さきたま)古墳群を世界遺産登録する旨文化庁へ提出。国宝・金銭銘鉄剣が5世紀の中国王朝と日本の地方豪族を結びつけ、古代東アジアの政治史を探る史料と判断。埼玉県には縄文遺跡もあり貴重な歴史証人と考えられる。 縄文人の由来また南米大陸の人種との遺伝子接点など解明されていない古代史の1ページの解析に寄与しよう。昨年八重山諸島からブイを黒潮に流し民族移動を解明する試みをしたグループがあったに聞くが古代史の研究は専門家もまた市民にても興味深い。 シュリーマン、トロイの遺跡を想起。(埼玉新聞より引用・加筆) PIANO CULTURE ART MUSIC STEINWAY & SONS HAMBURG 1936 http://www.culture-art-music.com TOKYO JAPAN +81-48-532-8983
2007年 9月 18日 (火)
音楽ホールと自然の調和・ヴィヴァルディ 調和の霊感〜
○音楽ホールと自然の調和 上野の森東京文化会館、中学の頃からの憧れの象徴多くのの名演を聴き40年が。東京芸術大学内奏楽堂も森の中にある響きのよいホール、旧奏楽堂は建物自体が明治以降の建築物として文化遺産。音響に重点を置いた東京オペラシティ、東京芸術劇場、サントリーホールは立地条件からやむ得ないが音響設計の質とは次元が異なり周囲の自然が音楽と乖離する気が。 パリプレイエルホールは凱旋門からほどなくConservatoire National Supérieur de Musique et de Danse de Parisパリの雰囲気を楽しむうちに歩いてすぐ、ローマサンタ・チェチーリア音楽院と隣接するローマオーディトーリアムも国立競技場を思わせる自然が取り囲む環境が美しい。ピアノ、オーケストラ演奏会の感動を失わせぬ周囲の環境が整って初めてそのホールが高品位といえよう。ポリーニのモーツァルトピアノカルテットト短調を感動をもって聴きホールを一歩でると東京の雑踏とは音楽芸術と自然環境の矛盾。 ホワイエから琵琶湖を眺めるびわ湖ホール、遠く日光、那須、浅間も眺望する熊谷文化創造館の恵まれた自然との調和が音楽を聴く者に優しいホールとして特筆に価する。
○イ・ムジチ合奏団在マリアーナ・シルブのVn名演も。イ タリア、ウ ゙ィ ウ ゙ァルデ ィ 、イ短調、イ ・ムジチとイとイの連鎖、嗚呼不可 四季?いや 不可 思議。(Sequenza I for Flute solo / Sequenza II for Harp solo / Sequenza III for Female Voice solo ・)イタリアの作曲家R.ベリオはもう古典、ノーノも現代曲とポリー二も云はず、東京オペラシティ・タケミツメモリアルホール2005年、現代音楽シンポジアム。サントリーh−ルでの2002年ポリーニプロジェクト、モーツァルト ピアノ四重奏曲ト短調、ピアノと管楽器のための五重奏曲 変ホ長調は忘れられぬ名演であったが空席も目立つ。現代曲というべきでないリゲティなどあったとしても東京サントリーホールでのポリーニが空席とは驚く。ショパン、ベートーヴェンプログラムの素晴らしいことは勿論、だがポリーニの現代曲に対する姿勢を見ておくべき現代に生きる人として。救いは青柳いづみこ先生に手ほどきを受けた娘が15年の時を経てお会いした会場サントリーホール。
○熊谷文化創造館とギリシャ 熊谷文化創造館は太陽のホールと月のホール。 ギリシャ文明から熊谷文化創造館太陽のホールはアポロンの象徴、月のホールはディオニソス。 埼玉、熊谷文化の象徴として熊谷文化創造館太陽のホールは背面を開き太陽光を取り入れ宇宙と一体化。 観衆との一体化とは精神的な次元、ミューザ川崎シンフォニーホールに述べられた物理的解釈?? 川崎が誇るミューザ川崎シンフォニーホールとは異なり建築物として芸術性が麗しい熊谷文化創造館。 東京文化会館以降の建築物、音楽空間ともに優れた構造物、埼玉が世界に誇る文化芸術の象徴熊谷文化創造館。
○ライプチヒより来熊坪井真理子ピアノ演奏感動の渦 来熊(熊谷)坪井真理子ピアノ講座に続き8日熊谷文化創造館ライプチヒ高等音楽院(Die staatliche Hochschule fur Musik, Leipzig)坪井真理子ピアノ演奏会、小学生からお年寄りまでモーツァルト、ベートーヴェン、ショパンの演奏は聞き易い曲目を選んでいたが技術的にも完璧、ピアノ音楽の構成感、ドイツを拠点に活躍し秋のマリアーナ・シルブとのデュオも期待されるピアノ演奏家、芸術家としての真価を見事に発揮。 Prelude: Allein Gott in der Höh sei Her BWV663- J.S.Bach (ライプチヒ聖トーマス教会にてバッハが演奏したオルガン曲) 正確なタッチ、強弱の幅、息の長いフレージングは巨匠の域に達した感。スケルツォ第2番、英雄ポロネーズでは正確なタッチ、とどまることのないリズム感、豊富な音色、構成力が聞くものを圧倒。 誰でも耳にしている曲目でのピアノ演奏にはリスクも、最後まで緊張感と弛緩の絶妙なるコントラストをもってヨーロッパの伝統芸術のひとつ音楽をもって日本人離れの演奏、また逆に日本人である存在証明をもって埼玉、熊谷、熊谷文化創造館月のホールに足跡を刻んだピアノ演奏。 演奏会では、ステージに小学生からお年寄りまで鍵盤を間近にかに見るよう席を配す。 ポリーニのピアノ演奏会からの発想、この感動が子供たちの才にヒントを与え音楽の道に進むことがあれば嬉しい。印象は記憶から消えても遺伝子のごとく発現。 熊谷文化創造館月では椅子の配置、縦横直線をきらい、ピアノを見て末廣がり、扇形に配し演奏を聴く立場から考案し演奏家との一体感を創造。 坪井真理子は10月熊谷文化創造館太陽のホール、京都アルティにてマリアーナ・シルブとヴァイオリン&ピアノのデュオ演奏会。
(絵はルーマニア大使館より提供)
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2007年 9月 17日 (月)
ヴァイオリン演奏会「ストラディヴァリウスの輝き」
元イ・ムジチ合奏団ソロ、マリアーナ・シルブ、ライプチヒ高等音楽院教授&坪井真理子(Hochschule fur Musik und Theater Felix Mendelssohn Bartholdy“ Leipzig) ヴァイオリン演奏会「ストラディヴァリウスの輝き」 10月25日京都アルティ、10月27日熊谷文化創造館のヴァイオリン&ピアノ演奏会。 マリアーナ・シルブのデュオは日本初。東京での演奏会はなく京都、熊谷で。横浜、横須賀でマスタークラス非公開。 シルブ教授のヴァイオリンは故オイストラフ氏が使用した名器ストラディヴァリウス(1705年製)、2003年までのイタリア、イ・ムジチ合奏団のソロ、ヴィヴァルディ四季の演奏は世界的に高い評価。 ピアノ坪井真理子は京大医学部卒、ドイツフランクフルト高等音楽院でピアニストに、ヨーロッパを拠点に活躍。 1. ヴィターリ シャコンヌ ニ短調 2. モーツァルト ソナタ ト長調 KV301 3. ベートーヴェン ソナタ 春 4. サラサーテ 序奏とタランテア 5. フランク ソナタ イ長調
東京、横浜ではサロン演奏会。熊谷文化創造館へお運び下さい。 湘南新宿ラインで渋谷、新宿から1時間、熊谷文化創造館へ送迎バス。 熊谷文化創造館の歴史を飾るストラディヴァリウス・マリアーナ・シルブ&坪井真理子ヴァイオリン&ピアノ演奏。ベートーヴェン春も京都アルティ、熊谷文化創造館で。http://www.culture-art-music.com/mariko/guide.html 【補追:バッハゆかりのライプチヒ、メンデルスゾーンにより創設されたライプチヒ高等音楽院、メンデルスゾーンは聖トーマス教会でオルガンを弾いた。 彼がバッハを19世紀に広めた功績は大きい。 マタイ受難曲 (Matthäuspassion) BWV244 は1727年にライプツヒにて初演され、後にメンデルスゾーンが取り上げバッハを再認識させた。】 マリアーナ・シルブ女史の生まれ故郷はルーマニア英語で綴るとRomania。日本語表記はどうしてルーマニアとなるか不可四季、イ・ムジチはイタリアローマに誕生、シルブ教授とローマで繋がるご縁。 ヴァイオリン奏者・作曲家・指揮者のG.エネスクの国ルーマニアいやローマニア。ブカレストオペラハウスとエネスクの像が音楽の国ローマニアの象徴。 (写真はルーマニア大使館よりご提供頂く)
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2007年 9月 16日 (日)
アンサンブルogts熊谷文化創造館にて感動の演奏
アンサンブルogts熊谷文化創造館にて感動の演奏 ヨーロッパ、ドイツ語圏での海外留学とオーケストラの活動もし活躍中の若手管楽器アンサンブルogtsの熊谷文化創造館の演奏会はヨーロッパの風の香り、空の色、街のどこにでもある定食屋さん、一歩外へでると何処からともなく聞こえてくる辻音楽士の奏でる音楽を体感したフルート、オーボエ、クラリネットとピアノという編成で見事な音楽を熊谷の市民に聞かせてくれた。 ソリストとしてリサイタル、オーケストラとの共演にて実力を発揮する演奏者がまたアンサンブルを組み変則的な楽器構成にて編曲された名曲を律動感、生命力を瑞々しく聞かせるogtsの音楽観、音楽的なレヴェルの高さが素晴らしい。トリオ、デュオ、カルテットにて演奏されたバッハ、ブラームス、サン=サンサーンス、ボロディン、東京文化会館の演奏会があってしかるべき水準の高さとともに吹奏楽に励む高校生に強い印象を与え、素晴らしい手本となった。 高齢者の方、小学生も難しい曲を忘れogtsのアンサンブルに感銘を受けたと思う。8月ライプチヒ坪井真理子ピアノ演奏会に続き行われたogts演奏会 ogtsのメンバー: フルート 吉岡次郎 オーボエ 関水萌子 クラリネット 横田揺子 ピアノ 布施亜紀子 クラリネット横田揺子とピアノ布施亜紀子は9月28日かつしかシンフォニーヒルズ(アイリスホール)にてスイスバーゼルからの友人ヴァイオリニスト、ファゴット奏者とともに「横田揺子 室内楽の夕べ」を開く。(スイス大使館後援) 10月はヴァイオリン&ピアノデュオ、ストラディヴァリスの輝きで熊谷、埼玉、関東の方々にヨーロッパの伝統音楽を熊谷文化創造館太陽のホールにてお聴き頂きたい。 (写真はM.シルブの故国ローマニア、ルーマニア大使館より提供頂くコンスタンティノープルの海と空)
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2007年 9月 15日 (土)
管楽器アンサンブルogts日本、東京から熊谷へ
管楽器アンサンブルogts 秋の熊谷文化創造館の音楽シーズンの幕を切る管楽器アンサンブルogts日本、東京から熊谷へ 埼玉は吹奏楽の盛んな土地、吹奏楽団体が小学生から大人まで全国大会で優秀な成績を挙げる埼玉、ヨーロッパで学んだogts管楽器奏者の音楽性、演奏技術を学ぶよい機会。 ニコレとConservatoire National Supérieur de Musique et de Danse de Paris ランパルの饗宴も東京文化会館、時を隔てニコレの演奏時地震あり流石のニコレも演奏を止めた、東京文化会館2階精養軒の大ガラスに皹が入っ た、その地震はどこか記憶が無い。懐かしい東京文化会館。1964年ランパル初来日。ミロのヴィーナスの春であった上野の森。今なお文化薫る上野。 東京文化会館今年で5回目となる東京音楽コンクール、第3回にて見事な演奏をしたフルート奏者吉岡次郎氏らアンサンブルogtsを熊谷文化創造館で聴くことを小・中・高校生に薦めたい。
フルート:吉岡次郎 武蔵野音大・バーゼル市音大 クラリネット:横田揺子 東京芸大・ミュンヘン国立音大・バーゼル市音大 オーボエ:関水萌子 東京芸大・チューリッヒ音楽院 ピアノ:布施亜紀子 武蔵野音大・デトモルト音大 http://www.culture-art-music.com/concert/index.html 「長いヨーロッパ生活から帰国して一番うれしかったのは、ぶらっと立ち寄っておいしいものを食べれる定食屋さんが街中どこでもあったこと。・今ヨーロッパを懐かしく思うのは、いつも街の中に音楽があったこと・」 ogtshttp://www.ogts.jp/
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2007年 9月 14日 (金)
The TeachWithMovies.com
PIANO CULTURE ART MUSIC STEINWAY & SONS HAMBURG 1936 http://www.culture-art-music.com TOKYO JAPAN +81-48-532-8983 DIRECTING MANAGER YUKITO KAWAKAMI Thirty-two Short Films About Glenn Gould consists of short vignettes about Canada's most renowned classical musician of the 20th century. Glenn Gould (1932 - 1982) was a performer, recording artist, broadcaster, producer for radio and television, and an extremely eccentric man.
The TeachWithMovies.com Learning Guide to this film shows parents and teachers how to supplement the information in this film and to introduce the beautiful music of Glenn Gould, a most interesting individual.
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2007年 9月 11日 (火)
Four Seasons by I MUSICI ROME ITALY
Nel 1952, con il bello e semplice nome I MUSICI, dodici promettenti strumentisti romani e di altre citt・d'Italia, allievi in buona parte dei Corsi di Perfezionamento dell'Accademia di S.Cecilia, si consociarono "inter pares" e diedero vita ad una singolare orchestra da camera composta di sei violini, due viole, due violoncelli, un contrabbasso ed un clavicembalo, con l'intento di ridare linfa vitale al repertorio per archi ed in particolare alla produzione di autori italiani del Settecento.
La scelta di formare un organico senza direttore d' orchestra fu deliberata per stabilire fra i dodici colleghi-amici un rapporto egualitario in grado di portare, sia in fase di concertazione che di esecuzione, a scelte unanimi sui problemi tecnico-interpretativi delle partiture, formula inedita e valida ben al di l・delle aspettative: emblematicamente l'elogio di Arturo Toscanini stabil・quasi subito il primo autorevole sigillo. Egli, nell'aprile del 1952, li ascolt・mentre provavano nella sede della Radio Italiana a Roma, poi li abbracci・commosso uno ad uno, rilasciando dichiarazioni entusiastiche ai giornalisti ed alle personalit・che lo attorniavano, infine in ricordo di quel felice momento regal・loro un suo ritratto con dedica: "bravi, bravissimi! No, la musica non muore!"
Il debutto in pubblico era gi・avvenuto, con grande successo, poche settimane prima, il 30 marzo, all' Accademia di S.Cecilia, e fu l'avvio di una stupefacente carriera che in poco tempo li avrebbe annoverati fra i protagonisti del concertismo internazionale. Per un caso insolito I MUSICI si trovarono a dover onorare i loro impegni, in alcuni stati d'Europa, sotto una differente denominazione, ossia I MUSICI DI ROMA. Questa curiosa anomalia fu dovuta all'idea di un impresario di Monaco di Baviera al quale si erano rivolti per essere rappresentati in Germania ed Austria; egli sugger・di aggiungere, esclusivamente per quell'area geografica, al nome I MUSICI l'attributivo DI ROMA, sostenendo che ci・avrebbe fornito al pubblico del centro e nord Europa, da sempre innamorato della classicit・mediterranea, una attraente ed immediata connotazione culturale tale da facilitare il lancio pubblicitario della allora sconosciuta orchestra italiana. Dopo un'iniziale perplessit・si decise di accettare: il risultato fu cos・positivo che i neobattezzati MUSICI DI ROMA dovettero adottare in permanenza questo secondo appellativo per la gioia dei colti ed esigenti ascoltatori mitteleuropei. Oggi, qualunque frequentatore internazionale di sale da concerto che ascolti I MUSICI sia al Mozarteum di Buenos Aires o al Palau de la Musica di Barcellona, e sia, successivamente I MUSICI DI ROMA al Musikverein di Vienna, sa bene che si tratta sempre del medesimo celeberrimo Complesso da Camera romano.
L'arte cameristica ed il suono inconfondibile de I MUSICI si sono plasmati durante mezzo secolo di assidua dedizione, nel rispetto dello stile e del gusto di ciascun autore e al tempo stesso con libert・interpretativa aliena da dogmatismi accademici. Con queste duttili qualit・I MUSICI svelano e raccontano i sentimenti, gli aneliti e le emozioni di compositori che operarono in un'epoca irta di vincoli e convenzioni, e tuttavia seppero trasmettere, mediante la loro arte sublime, un messaggio universale ed eterno.
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2007年 9月 10日 (月)
グールド・漱石・熊本
グールド・漱石・熊本
鴎外と並ぶ明治の文豪夏目漱石は英吉利から帰国後旧制第五高等学校の英語教授として熊本に住む。 母の実家陣ノ内は内坪井に、坪井川が近く熊本城も目の前。 漱石の住居が記念館として保存されて、ほどなく小泉八雲、ラ フカ ディオ・ハーンも住まいした地に地蔵が。 漱石は熊本の南端、島原雲仙普賢岳を見渡す父方の祖先の地三角にも立ち寄る。三角西港には祖先の家屋敷が保存されているが百年も昔のこと。 漱石が祖先の家近くを散策したかもしれぬ。熊本に居た時期の小説『草枕』『ニ百十日』。阿蘇にも登り、幼い記憶で耶馬溪の闇も不安であった地を漱石とも共有した昭和29年。 ”青函連絡船洞爺丸遭難”のラ ディオ がモーツァルト ヴァイオリン ソナタ ハ長調の調性とは裏腹に複雑な印象として記憶に鮮明。 演奏はシモン・ゴルドベルクのヴァイオリン。ピアノはリリー・クラウスと5歳の記憶。 グールドの愛読書に漱石『草枕』、グールドの床に聖書と並んでいたと聞く。 グールドピアノ演奏画像ラヴェル「ラ・ヴァルス」は浮遊するラ・ヴァルス。(青柳いづみこ先生はワルツと表記) 漱石は近未来小説として「浮遊する東京」を念頭におき 生・死 隣り合わせ、生きる実感、生命の根として不確実性を書いたとNHKテレヴィジョン。 光を求め直進すればするほど闇に囲まれ一層暗闇に呑まれる不安感、グールドの共感を得た背景。 漱石とも熊本、内坪井、三角で遭遇し、またグールドとは三角の相関もあったとすればまた歴史の 軌跡 とも 奇跡、妄想の連鎖・セケンツァ。もし今グールドを知らなければ私の人生はきっと変わっていただろう。・・ フランス語文法、条件法過去第2形「条件法過去のかわりに接続法大過去を用いることがある。これを条件法過去第2形という。siにつづく条件節で直接法大過去にかわって用いられることもある。」 (初等フランス語教本 文法篇 研究社・白水社)・再現部として提示し終曲へ奔るConservatoire National Supérieur de Musique et de Danse de Paris Happy Birthday to 森田裕之 many thanks (Steinway & Sons madae in 1936 Hamburg und remaked in 2006 at MORITA & SON Kyoto ) Yukito Kawakami Culture Art Music your piano is my treasure and my family's eternal property maybe eternal till 22th century like Thodai-ji temple as you know
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2007年 9月 9日 (日)
バッハゆかりのライプチヒと坪井真理子
没後25年の今年多くの音楽評論家、ピアニストらがグールドのピアノ奏法、チェンムバロ奏法を評するであろうがカナダCBCの記録映像からバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ラヴェル、ドビュッシー、プロコフィエフらの演奏を仔細に分析してもそれはそれだけのことグールドは帰らぬ天才。グールド讃! グールドの誕生日、9月25日=バッハBWV925は 小プレリュード D−dur大学時代現ライプチヒ高等音楽院坪井真理子に教わった曲。 坪井真理子も幼少の頃ピアノとオルガンを弾いた。グールドと同じくその影響かピアノ演奏にてノンペダル時、右足が無意識に大きく右に出、またペダルに戻る光景もバッハ平均律を弾くグールド同様絵になる。 平均律は坪井真理子の得意とするジャンルでもあり、ショパン、シューマン、ラヴェルの演奏とともに彼女のリサイタルではプログラム企画には必須のバッハの曲目。ゴルドベルク変奏曲は京大の学生時代既に公開演奏を行った35年前。 (森田ピアノ工房スタインウェイニューヨーク1912年) Johann Sebastian Bach (* 21. März 1685 (JK) in Eisenach; † 28. Juli 1750 in Leipzig) war ein deutscher Komponist des Barock. Er gilt heute als einer der größten Tonschöpfer aller Zeiten, der die spätere Musik wesentlich beeinflusst hat und dessen Werke im Original und in zahllosen Bearbeitungen weltweit präsent sind.
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2007年 9月 8日 (土)
超多忙な東京都交響楽団フルート野口博司らザ・ステップ
超多忙な東京都交響楽団フルート野口博司らザ・ステップ 2008年2月16日熊谷文化創造館太陽のホールにてバッハトッカータとフーガ ニ短調、ラヴェル スペイン狂詩曲などオルガン、オーケストラ曲を10名のフルートアンサンブルにて演奏するザ・ステップはサイトーキネンのように日程を合わせること至難の技。 当日までリハーサルを兼ねたあわせは難しい。 フルート野口博司氏は東京都交響楽団のオケ演奏に加え、9月22日こまばエミナース、東京エラート室内管弦楽団・東京エラートゼンガー演奏会。若いフルート奏者も夫々演奏会が詰まり演奏会当日のゲネプロのみ。 日本の誇る10名のフルートアンサンブル、ザ・ステップの來熊を期待。リハーサルの確認にてコジマ録音が収録をする。 http://www.kojimarokuon.com
ザ・ステップのメンバー紹介(T)以下引用(順不同)
【岡本 謙 OKAMOTO Ken 高松第一高等学校音楽科を経て国立音楽大学入学。 1991年、同大学卒業と同時にシエナ・ウインドオーケストラに入団、フルート及びピッコロ奏者を務める。 1997年に同楽団を退団後は、オーケストラ、室内楽、吹奏楽、ミュージカル等において演奏活動を行う。 現在、東京吹奏楽団団員。フルートを野口博司、宮本明恭、岩崎範夫、佐柄晴代の諸氏に師事。】
【西田 紀子 (フルート) 京都市立堀川高等学校音楽科を経て、東京芸術大学音楽学部器楽科フルート専攻卒業。 フルート奏者として日本フィルハーモニー出演、現在シエナ・ウインド・オーケストラ団員、劇団四季オーケストラ契約団員。また、オーケストラ、室内楽、ソロ、バンド等、ジャンルにとらわれない演奏活動を積極的に行っている。フルートを野口博司、小久見豊子、大友太郎、金昌国、中野富雄、湯川和雄、P.マイゼンの各氏に師事。】
【佐藤昌子 SATO Akiko 東京芸術大学卒業。同大学卒業演奏会等に出演。 第8回日本フルートコンベンションコンクール、アンサンブル部門銀賞受賞。 2001年『鳥と自然』をテーマにした初のソロリサイタルを行う。 現在、東京吹奏楽団団員。TREAM Quintettメンバー。 フルートを金昌国、小泉剛、野口博司、W.シュルツ、H.G.シュマイザーの諸氏に師事。】
【横山由子 YOKOYAMA Yuko 高松第一高等学校音楽科を経て、1996年東京芸術大学を卒業。 第13回、14回及び16回全日本アンサンブルコンテスト全国大会金賞受賞。 第30回全四国音楽コンクール優秀賞受賞。全日本学生音楽コンクール大阪大会第3位入賞。 フルートを野口博司、小泉剛、細川順三、砂山佳美、藤村恵子、原田利佳の諸氏に師事。】
【前田美保 MAEDA Miho 高松第一高等学校音楽科を経て、東京音楽大学を卒業、同大学研究科修了。 1996年全日本字生音楽コンクール大阪大会にて奨励賞、1997年同コンクールにて第2位を受賞。 2003年第11回日本フルートコンベンションコンクール、ソロ部門入選。 フルートを野口博司、細川順三、藤村恵子の諸氏に師事。】
【赤木香菜子 AKAKI Kanako 高松第一高等学校音楽科、東京芸術大学卒業。 第52回全日本学生音楽コンクール大阪大会フルート部門高校の部第2位。 第21回全日本アンサンブルコンテスト全国大会金賞受賞。 これまでにフルートを藤村恵子、野口博司、細川順三、浅生典子、金昌茎、中野富雄の諸氏に、 室内楽を神田寛明、四戸世紀、吉田将の諸氏に師事。】
【向井理絵 MUKAI Rie 高松第一高等学校音楽科を経て、東京音楽大学を卒業。同大学院修士課程在学中。第52回全日本学生音楽コンクール大阪大会奨励賞、第41回全四国音楽コンクール最優秀賞を受賞。平成18年度東京音楽大学短期留学特別奨学生。フルートを野口博司、細川順三、藤村恵子の諸氏に師事。】
東京都交響楽団情報
東京都交響楽団・TOKYO METROPOLITAN SYMPHONY 9月14日 東京文化会館 東京都交響楽団 札幌 東京都交響楽団 コンサートホール(東京文化会館)/東京文化会館 大ホール フルート:寺本義明.オーボエ:本間正史.クラリネット:佐藤路世. ファゴット:岡本正之 若杉弘指揮 東京都交響楽団 若杉弘指揮/東京都交響楽団 高木綾子(フルート) モーツァルト/フルート協奏曲第1番 びわ湖ホール芸術監督の任にある若杉弘氏が、かつて音楽監督・ 首席指揮者を務めた東京都交響楽団を指揮し演奏会 東京都交響楽団 第489回定期演奏会 B 東京都交響楽団 第489回定期演奏会 B サントリーホール・ジャン・フルネ/東京都交響楽団 フルート/ジュリエット・ユルレ. フルネ/都響・フルート協奏曲
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2007年 9月 7日 (金)
フルート奏者野口博司らザ・ステップ熊谷文化創造館太陽のホールリハーサル
東京都交響楽団フルート奏者野口博司らザ・ステップ熊谷文化創造館太陽のホールリハーサル
来春の熊谷文化創造館太陽のホールに登場する東京都交響楽団フルート奏者野口博司らザ・ステップは芸大院在学中に東京都交響楽団のフルート奏者として演奏活動を始めた彼と香川県高松高校出身で芸大他主要音大を優秀な成績で卒業しフルート奏者として活躍中の若いお弟子さんたち10名のフルートアンサンブル。 10名がピッコロ、フルート、アルトフルート、バスフルートを各自異なるパートを受け持ちバッハトッカータとフーガ二短調、ラヴェルスペイン狂詩曲などオーケストラ曲も見事に太陽のホールに木魂す日本でも突出したフールートアンサンブル。 指揮者なしの10名のアンサンブルはイ・ムジチ合奏団同様各自の演奏技術と互いの音を精緻に聞きながら全体の音のバランスをとる演奏の妙でもありアンサンブルの力が要求される。 とりわけラヴェル スペイン狂詩曲 は音色、リズム、バランスなど複雑なラヴェルの作曲技法の典型でもあり、フルート奏法の極致をもって演奏される難曲。 オーケストラ、室内楽、ソロ活動で10名の集まる日程調整は至難の技、来春2月の演奏会に向けリハーサルが行われた熊谷文化創造館太陽のホール。 10名のフルートが自然に響きまた音響的にも柔らかい温かみをもつホールに東京文化会館、サントリーホールなど東京の演奏会で毎週のように演奏会を行う野口博司氏は演奏者として熊谷文化創造館太陽のホールを高く評価された。永田音響設計の秀作を薦めた主催者として嬉しい。 ザ・ステップは1966年に第1回コンサートを東京市ヶ谷ルーテル教会にて行って以降フルートアンサンブルの評価が高く来春熊谷文化創造館太陽のホールでの演奏が期待される。2月16日の公演ではフルート愛好家の方にもステージにて合奏も企画中。熊谷、埼玉、北関東のフルートを愛する方の参加に野口博司氏は数回のフルート講座(クリニック)を行う。 太陽のホールでのザ・ステップとフルート愛好家の合奏も東京、埼玉でも初めての試みで実現に向け意欲を燃やす熱いフルート奏者野口博司。9月末に具体的な提案がされる予定。是非、吹奏楽の盛んな埼玉また近隣のフルートを日々吹かれる愛好家の参加を期待。 なおリハーサルの終了時はコジマ録音の協力を得て創立10周年の記念CD用収録も日程に組まれ3日間のリハーサルとコジマ録音の収録と日程調整ができた。 おりしも台風関東直撃との天気予報もあるが永田音響設計の完璧な外部遮音設計にて風速50mでもなんら影響はないようだ。改めて世界の永田音響設計の力、音楽芸術への深い共鳴に感謝
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2007年 9月 5日 (水)
第76回日本音楽コンクールピアノ部門第1次予選
日本音楽コンクール(毎日新聞社、NHK共催、協賛三井物産)ピアノ部門 日本の音楽コンクールとして唯一将来の演奏家の登竜門にあたる第76回日本音楽コンクールピアノ部門第1次予選がトッパンホールで行われた。仲道郁代、野原みどり、伊藤恵らを聞いたのはもう25年も昔、イイノホール。 次代を担う若き才能ある音楽家の登場に期待。仲道郁代が桐朋の高校生の頃であった。 第2次予選はコジマ録音との仕事で聞かれない、ピアノコンクールは本選より3次予選に惹かれる。 ショパン、ラヴェルらのソロ演奏に着目、オケのバックは耳には余計に思うピアノの響きが。 書庫には仲道郁代、蓼沼嬢らの名と演奏順の記載ある当日のペーパーがあるが取り出すほど整理ができない性癖。素人ながら採点もしたイイノホール、仲道郁代は素晴らしい音楽があったがソノトシは優勝できず次の年毎日コン優勝者となり、高校生とは思えぬ演奏と細い腕から撓る打鍵が印象的であった。天はニ物を与えずとふもチャーミングな容姿端麗も天分のひとつ。日本より海外で演奏をして欲しい仲道郁代。 仲道郁代は9月佐藤しのぶ「出会いのハーモニー」と付した横浜みなとみらいホールコンサートにてベートーヴェンピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」を弾く、佐藤しのぶと錦織健はプッチーニ「蝶々夫人」より第1幕のフィナーレで饗宴、錦織健は来年2月熊谷文化創造館でもその美声を。
(森田ピアノ工房・スタインウェイニューヨーク1912年)
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2007年 9月 4日 (火)
ホールの響き・聴いてここちよい音楽ホールとは
コンサートホールの響きは演奏する楽器、人数、曲目にも依存するが、ピアノソロ、カルテット、オーケストラであれいくら音響設計上模型での実験データ解析、スーパーコンキューターを駆使しても最後は耳で確認し、感覚的にここちよいかどうかで演奏者も演奏に臨む。 響きのなかでは最適残響周波数特性という周波数と残響時間を横軸、縦軸におきほぼ直線かややゆゆるいカーブをもつ目安でしかない説明が設計者から提示される。 ヨーロッパ、アメリカの歴史あるオペラ座、オーケストラホール、バロック時代の教会に対しても実際に演奏家を入れた実験データがある。 参考となるオペラ座、オーケストラに加え教会は圧倒的にデジタル数値は高い。教会の範疇ではドイツ・ライプチヒ聖トーマス教会が最も短く、イギリスセントポール大聖堂が数値上では倍以上高い。 教会でのパイプオルガン演奏、コンサートホールでの演奏に際しオルガニストはこころあれば精緻に響きにあったストップ設定をする、教会が一般のコンサートホールからは相当長い残響時間をもつことから一概にオルガンがすぐそのまま弾かれているわけではなく、リヒターやConservatoire National Supérieur de Musique et de Danse de Parisマリー=クレール・アランらはどのパイプオルガンが設置されたホールでもソノ演奏曲目にフィットした音響をこる楽器設定をして麗しく、荘厳、圧倒する音楽を提示する。 教会は構造的にはコンサートホールより大きく残響周波数特性が高いグループ。世界の名だたる教会のなかでは、ドイツライプチヒ、バッハゆかりの教会が比較的短い残響をもち、イギリスセントポール大聖堂は倍近い残響特性を示す。 ピアノソロでは、ペダルとノンペダルが区別できるこは最低限のホールと演奏者の責任、グランドピアノを全開にしてもピアニッシュモが弾けなければピニストとは云えぬ。 現在その意味でエッシェンバッハは実にどのようなピアノ蓋開閉でも存分にピアノを堪能できる指揮者でもある。 東京にある無数のホール、形もシューボックス、ワイン・ヤードスタイルと分かれるが最適残響周波数特性はあくまでも目安、演奏者は曲を始める前にそのホールの響きを何箇所かの客席位置で確認してリハーサルに臨む。可変式音響反射板があれば開閉角度もどの角度がその日の演奏曲目にあうか楽器、人数、演奏曲目から季節、客数を考慮しここちよい音楽を提示する。 ホールが示す、残響周波数特性は目安、ピアノソロ、ピアノとヴァイオリンデュオ、カルテット、室内オーケストラ、大編成オーケストラの演奏で数ヶ月で実態が見える。 一旦完成したホールを数年〜20年ないに補修、リニューアルするならばその当初の音響設計は失敗であったことの自己証明。 50年、100年優れた世界のクラッシック演奏会場は歴史をもち、中途でのはマズない。 教会は300年〜700年ゴシック・ロマネスクの建築物としても美しい、パイプオルガンが歴史ある建築物に内包されてこそバッハトッカータフーガ二短調を教会で聴く喜びがわく。 東京の林立するビル群にあってビル内にあるクラッシックコンサートホールはその建築物としての芸術性がなく大空に美しい建築物があるホールに感性はタナビコウ
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2007年 9月 2日 (日)
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